貴女の『名』は

「ねぇ、雪女。『雪麗』ってだれ?」

ある穏やかな日和の中、縁側で寛いでいたつららに、まだ幼いリクオが駆け寄ってくるなり尋ねてきた。

「え、リクオ様。その名前をどこで・・・」
「おじいちゃんが話していたのを聞いたんだ。ねぇ、誰?」

また盗み聞きでもしていたのか、とつららは少々呆れた顔をした。
総大将に憧れるのは良いが、手段を選ばずなんでも知りたがるというのも考えものだ、とつららは思う。

「それは、私のご先祖様のお名前ですよ。」
「名前?だって雪女の先祖は雪女だろ?」
「はい、そうですよ。」

つららはにっこりとほほ笑みながら答えるが、リクオはどういう事なのかと首をかしげている。

「人間と同じように、私達にも『名』があるのですよ。」

でないと同じ一族の者達と会った時に困るでしょう?と付け加えて教え諭す。
なるほどー、とリクオは納得したようだったが、直ぐにまた不思議そうな顔をしてつららの顔を覗くように見上げた。

「じゃあ雪女にも名前があるの?」
「はい、もちろん。」
「じゃあ教えてー。」

無邪気な顔で聞いてくるリクオに対し、つららは困った顔をして言葉を濁す。
別に知らなくとも困る事は無いでしょう、とつららは言うのだが、リクオは教えてくれないと嫌だとの一点張りだ。

 


「んー、ほら、総大将の事を、私達は『総大将』、リクオ様は『おじいちゃん』と言うでしょう?」
「うん、それが何?」

突然何を言い出すのかと、リクオは不満いっぱいの顔でつららを睨みつける。
つららにはそれさえも可愛らしく感じてしまい、ついつい笑みがこぼれてしまう。

「若菜様の事は『お母さん』ですよね。どちらも『名』では呼んでいませんよね?」
「うん、当たり前じゃないか。何言ってんだよ、雪女。」

「他にも色々あるのですが、『名』で呼ばない例はいくらでもあるんですよ。」
「ふーん。」

リクオが興味を持ち始めた事に『しめしめ』とつららは内心思う。
このまま名前を聞かない方向に持っていけば、事が済むというものだ。

「何故かというと、昔、日本では『名』を呼ぶ事はあまり良い事とされていなかったからなんですよ。」
「何で?」


つららの話を要約すると、『名』を知る事は、その『名』を持つ者を支配する事を意味すると信じられていたからだという。
そこから「支配する」ということは「自分の方がえらい」と宣言するようなものだ、という考えが生まれたのだという。

それが時代を経て、可能な限りは『名』ではなく、呼称で呼ぶ習慣が生まれていった。
家庭なら『お前』や『あなた』もそうだし、学校や会社ならば、『先生』や『課長』など役職のみで相手を呼ぶのも同じルーツからきている。
それが日本の言葉の文化として、長く定着しているという事だ。

今では欧米文化が入ってきた事もあり、人間社会では意味合いも薄れてきてはいるが、妖怪は人間よりはるかに長生きするという事もあって、今でも『名』を呼ぶ事は避けている風習が色濃く残っているらしい。


つららは得意げにこれらの事を話していたのだが、リクオはとっくの昔に話に飽きてしまい、ただつららの顔を見て楽しんでいた。
が、話が妖怪に関わった途端、リクオはすぐさま反応し、再び話に夢中になっていく。

「そういえば、大昔は男性が女性に名前を聞くというのは・・・」
「聞くのは?」

『まだリクオ様には難しかったかな。きっと上の空だろう』とつららは思っていたのだが、どうもこの小さな主は予想外の行動を取るのが好きらしく、キラキラと目を輝かせながら、つららの顔をじっと見ている。
この続きを聞いたら、いったいどんな反応をするのだろうと、つららはニッコリと笑いながら話し続けた。

「ふふ、リクオ様。『名』を聞くと、プロポーズをした事になるのです。」
「ええっ!?名前を聞くだけで!?」
「はい。そして『名』を答えるのは、プロポーズを受けたという事なのですよ。クスクス。」

予想通りの反応に、つららは面白くなってきた。
いつもイタズラに振り回されているのだ。たまにはからかう役回りを得ても、いいではないか、と心の中で思う。

「どうします?やっぱり私の『名』を聞きたいのですか?」
「うん!!」
「え?」

即答で力強く返答したリクオに、つららの頭の中が一瞬真っ白になる。

「あの、リクオ様。私の話、聞いていましたよね?」
「プロポーズなんでしょ?」

解っていながら何を言い出すのか、とつららは慌てて両手を振りオロオロとうろたえる。

「あ、でも、それは昔の話で・・・」
「妖怪の間じゃまだ残っているんだよね?」

にぱぁーー、と笑うリクオの顔は、いつものイタズラをしている時の顔に、見えない事も無い。
その顔を見て少しばかり落ち着いたつららは、息を整えながら

『これもきっとイタズラ、これもきっとイタズラ』

と自分に言い聞かせて、リクオに向き合った。
別に、どうしても内緒にしなければならない事でも無い。
自分の名を知っている妖は、本家には何人もいるのだし。

それに、どうせこのやりとりも、すぐに忘れてしまうだろう。
こうした遊びに付き合うのも、また楽しい思い出になるというものだ。
自分がこうして考えている間も、リクオはじっと待ってくれている。それに応えないと。

「分かりました、お教えします。でも、皆には内緒ですよ?」
「うん!」

つららはいかにも『秘密ですよ』と言わんばかりに、もっともらしく周囲を伺ってから、リクオの耳元に口を近づける。

「いいですか、私の『名』は・・・」

リクオからは見えない角度でつららはクスリと微笑むと、自分の『名』を囁いた。

 

 


その後、満足したリクオが部屋へと戻り、汗と土で汚れた衣服をつららが着替えさせはじめた。

「ねぇ、雪女。雪女を『名』で呼ぶのは、二人だけの時にするね。」
「ええ、皆には内緒ですからね。」

リクオの言葉に、つららがクスクスと笑いながら答える。

「うん、だってボクはまだ子どもだから、きっと皆は本気にしないと思うんだ。」
「何をですか?」
「ボクがつららをお嫁さんにするって事。」

ブッとつららは思わず吹き出してしまう。
そんな先のことまで考えるとは、いったい何処まで本気なのやら。
まあ、しばらくはこの『遊び』に付き合うのも悪くは無い、とつららは思う。

「だから、ボクが大きくなるまで、他の奴に『名』を教えちゃ駄目だよ。」
「ええ、判りましたよ、リクオ様。」
「えへへーー」

嬉しそうに笑うリクオを見て、つららも釣られて微笑み返す。
子どもらしい独占欲というものだが、それはつまり、それだけ自分を慕ってくれているのだという事。

「そうですね、では皆を率いるぐらい立派になられてから、もう一度『名』をお尋ね下さい。」
「うん!」

そう言ってリクオはニカッと笑うと、部屋を駆けだしていった。

「さ、洗濯洗濯♪」

つららとしては、今のリクオはやんちゃな『大事な跡取り』に過ぎない。
でも、それでもなんとなく嬉しくなって、その日つららは、ずっと上機嫌だったという。

 

 

 


第百八幕のリクつらエピソードに触発されて書き殴った小説を、『花と吹雪もべっ甲も』の管理人である遊亀朔夜様の一言に目覚めて(笑)、改編したものです。
遊亀朔夜様のみ、お持ち帰り自由です。良いネタをありがとうございました(^^)。

ここで書かれた妖怪に関する名前の事はもちろん捏造設定ですが、本作での描写でも、どうも『名』を呼ぶ事には(特に男女の間では)意味があるような気がするんですよね~。
そういう事もあって、今回の作品が出来上がりました。いかがでしたでしょうか?

なお、今回の話では、雪麗はつららのご先祖様ってことにしています。
話によって設定がコロコロ変わってしまって申し訳ありませんが、なんとなく今回はこの方がしっくりくるなと思いまして。


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