つららは、心を読ませぬ夜の主人に、小さく溜息をついた。
(やっぱり、覚えていないのかしら。)
雪椿の帯留めを眺める。
それは、元はリクオの母親の若菜のものだった。
それは、リクオの目線が今よりもずっと低かった頃の事。
「ねえ、つららー、見て、これ。」
幼いリクオは、てててて、とつららに走り寄った。手には、白木の小さな箱。
「まあ、どうなさったんですか?リクオ様。」
腕の中に飛び込んできた暖かな体を抱き留め、つららは差し出された箱を眺めた。
「お母さんが、いらないっていうから、貰ったの。ピンクを付ける年じゃない、って。勿体ないでしょ。」
そう言って蓋を開け、中の物を、屈んだつららの目の前に掲げた。
「まあ、帯留めですか。」
ピンク色の石でできた、3cmほどの帯留めだ。
「キレイでしょ、これ。バラかな?」
女物だが、幼心を捉えるには十分、美しい物だ。よく見ると、細やかな作りだ。
脇に翡翠で掘られた葉が小さく覗き、色の濃淡で雪が乗っている意匠にしてある。葉の形からも、雪椿と分かる。
「これは、雪椿ですよ、リクオ様。冬に、お庭にも咲いているの、見たことあるでしょう?」
「雪椿?」
リクオは、しげしげと帯留めを眺めた。
「花言葉は、謙虚と、理想の愛、なんですよ。」
ふーん、とリクオは首を傾げたが、
「雪なら、つららにぴったりだね、あげる!」
と差し出した。さすがに驚いて、首を振る。
「そんな、いただけませんよ、理由もないのに。若菜様も、大事になさってたんですから。」
「いらない?つららはいつも、着物だし。」
使えばいいのに、と言うが、つららは何とも困ってしまう。
「…帯留めは、そうそう、女性に贈る物ではありませんよ。リクオ様が、もう少し大きくなって、彼女が出来たら、プレゼントなさいませ。」
「…彼女?」
首を傾げるリクオに、つららは苦笑した。
「好きな女の人、ってことですよ。」
「じゃあ、やっぱりつららだ。」
はい、と差し出す。つららは、息を飲む。子供というのは、言葉の重みを知らない故に、恐ろしい。
「…そういう、好きではなく、その…もっと、大人になってから、ちゃんと相手を選ばないと、貰った方も、困るんですよ。」
「…そうなの?じゃ、もう少し、おっきくなったら、あげるね。」
納得したようだが、結局分かっていないようだ。
大事そうに抱えて部屋へ向かうリクオの姿に、つららは深い溜息をついた。