ここ最近、朝のリクオの部屋では、時折奇妙な声が聞こえてくるようになっていた。
今朝もまた、澄んだ音色の美しい声が聞こえてくる。
「しょーゆ♪しょーゆ♪醤油をかけて~♪」
その発生源はリクオの側近頭であるつららであり、彼女は忙しさの為に寝坊しがちになった主を、目覚ましベルの代わりに目覚ましソングで起こそうとしていたのだった。
たが、それが原因でリクオが奇妙な夢を見るようになっている事を、彼女は知らない。
「ん?この声は・・・」
朝の見張りをしていた黒羽丸が、リクオの部屋から聞こえてくる歌声にピクリと反応し、耳を澄ます。
「また歌っているのか。しかし、相変わらず上手だな。」
黒羽丸は雪女の歌を楽しもうと、リクオの部屋の前まで歩んでいった所で、先日トサカ丸とささ美が訴えてきた事を思い出した。
『雪女の歌でリクオ様が苦しんでいる。』
あの時は、たまたまそう見えただけだろうと思って『苦しんでいる』という部分はあえてスルーしたのだが、なんとなく胸騒ぎがして黒羽丸は主の部屋を覗くことにした。
つららの歌声からは想像もつかないが、確かに一般の雪女のイメージとしては、起こすというよりは眠らせる、しかもそのまま永眠させる、という方がしっくりくるものがある。
「まさかな・・・」
杞憂だろうと苦笑しながら部屋を覗いてみれば・・・苦悶の表情を浮かべるリクオの姿が黒羽丸の目に飛び込んできた。
「お、おい、雪女。何をしている。」
「あら黒羽丸おはよう。見ての通り、リクオ様を起こしているに決まっているじゃない。」
思わぬ来客に、せっかくの楽しい一時を邪魔しないでほしいとつららは口を尖らせた。
「いいからこっちに来い。」
「な、何よいったい。」
黒羽丸はつららの肩に手を掛け強引に部屋の外に連れ出すと、リクオからは見えないよう障子を閉めつららと正対した。
そしてリクオにも、周囲の者にも聞こえないようなヒソヒソ声でつららに話しかけた。
「お前の歌でリクオ様が苦しんでいたぞ。」
「ええ!?・・とと、そんなバカな事あるわけないでしょ。」
黒羽丸のヒソヒソ声を、リクオを気遣ってのものだと勘違いしたつららもまた、黒羽丸に顔を近付けヒソヒソ声で返事した。
「雪山殺しのようなものじゃないのか?
雪女の歌というと、眠らしたり、呪ったりというイメージがあるからな。」
「そ、そんな事あるわけないでしょ。」
何を言い出すのか、とつららが驚いてのけ反る。
その時中で何か物音がしたような気がした為、なんとなくつららは障子の隙間から中を覗き込んだ。
「ハァハァ・・・」
そこには、何故か息を荒げて起き上がっているリクオの姿があった。
「どうしてリクオ様が夜の姿に?」
いったいどうしたのだろうかと首を傾げるつららの上で、黒羽丸もまた障子の隙間からリクオの様子を伺っていた。
「やはり呪いの効果があったのでは・・・」
「そ、そんな訳ないでしょう?」
だが苦しげに息を切らせるリクオの姿を見ると、そうじゃないかもしれないと不安に駆られる。
夜の姿になったという事も、それは危険を察知したからではないかと考えてしまう。
「てめぇら3人共、今すぐたたっ斬るぁ!」
「「!!」」
リクオの叫び声に、つららが体をビクリと震わせる。
黒羽丸はそんなつららを即座に抱えると、その場から素早く飛び立ち屋根の上へと逃げ去った。
「う、うそっ、リクオ様があんな事を言うなんて・・・」
敬愛する主に自分を斬ると言われた、と思ったつららはガクガクと震えながらその場にへたり込む。
だが黒羽丸は動揺するわけでもなく、つららの体をしっかりと支えながら力強く言い聞かせた。
「落ちつけ雪女。リクオ様は『3人共』と言われていた。
お前の事だと判っていたら、『つらら』か『てめぇ』のはずだ。
私を含めていたとしても、二人なのだから人数が合わない。きっと夢の事だ。」
「・・・そ、そうなの?」
黒羽丸の的確な分析に、つららはすがりつくような目で黒羽丸を見上げる。
「そうだ。だから安心しろ。」
「て、でもやっぱりあれって・・・」
「ああ、歌のせいだろうな。きっと呪いの畏れが発動していたのだろう。」
「だってそんなの自分でも知らない事よ!?」
知らない事というか、そもそもそんな力など雪女にはないのだが、完全に勘違いしてしまった二人は、どうすれば主を呪わずに歌えるようになるだろうかと、真剣に検討し始めた。
もしこの場にトサカ丸がいれば、『歌って起こすの止めればいいんじゃねぇの?』との一言で全ては解決していただろう。
二人の見当違いの『リクオ様を呪わずに歌って起こそう特訓』は、こうして開始される事となった。