それから数日後。つららが部室で洗濯物を畳んでいると、練習中のはずの部員が一人、部屋へ入ってきた。
「あれ?割居先輩、どうしたんです?」
怪我でもしたのかな、と氷麗は心配そうに様子を伺ったのだが、すぐにそうではないと気が付く。
割居先輩は頬を赤らめながら、氷麗の事をじっと見つめて・・・というよりはほとんど睨んでいる。
「あの・・・何かご用ですか?」
少し差し迫ったものを感じつつ、氷麗は内心『もしかしてまた・・』と溜息をついていた。
中学の時はそれほどでも無かったのに、高校に来た途端、やたらと告白が多くなって困る、とつららは思う。
「及川、お、俺は・・・」
ああ、やっぱり、と氷麗は手短に済ます為に相手の言葉をそれとなく促し、最後までしっかりと聞くと、何時ものようにきつくない程度にはっきりと断わった。
だが・・
「お、俺は本気なんだ!及川の事が好きだ!」
まずいと氷麗は心の中で舌打ちする。
たまにこういうタイプがいるのだ。
相手の言葉に耳を貸さず、気持ちを考えず、自分の気持ちをゴリ押しする者が。
こういう輩は思い通りに行かないと、攻撃的になって何をしでかすか分からないから性質が悪い。
今まではこういう時は軽くあしらって逃げてきたが、何せここは部室で、唯一の出口は割居先輩の背後にある。
「いいか、俺なら絶対にお前を幸せにできる。」
そして氷麗が心配した通り、割居先輩は氷麗を壁際にじりじりと追い詰めると、両肩を掴み身動きが取れなくなるように押さえつけてきた。
こんな事をしておいて、何が幸せにする、よ。とつららはすうっと目を細め割居先輩を睨みつける。
(いっその事、殺してしまおうかしら)
相手は運動部の男子生徒。力では到底かなわないが、氷麗は雪女だ。
『雪化粧』で殺すことも、『雪山殺し』で眠らすことも思いのままだ。
もっともリクオの学校生活を考え、さすがに殺すような事はしていないが、それでもやはり殺意が芽生えてしまう。
「お、及川・・・!」
氷麗が慌てもせず睨みながら黙っているのを、受け入れてくれたと自分の都合のいいように勝手に解釈した割居先輩の顔が、氷麗の眼前に迫ってきた。
強引にキスでもするつもりなのだろうか。なら、その寸前に殺してやろう。
そう氷麗が心に決め息を吸った所で、パタンと勢いよく扉が開いた。
「氷麗!!」
「うわっ!?・・・え!?」
飛びこんで来たリクオの姿を何故か見失い戸惑う割居先輩の横腹を、リクオのフライングヤクザキックが炸裂した。
「オバアアァ!」
勢いよく吹き飛んだ体はロッカーに激しく衝突し、大きな音を立てる。
そんな事よりも、氷麗は先ほどのリクオの行動に驚いていた。
「リクオ様・・・」
昼のリクオなのか、それとも夜のリクオなのか。
時間帯から言えば昼しかあり得ないのに、外見は明らかに昼のリクオなのに、夜のリクオに見えてしまう。
「氷麗、大丈夫だった!?」
「は、はい、リクオ様のおかげで。危ない所を、ありがとうございました。」
もう少しで人間を殺してしまう所だった、と違う意味で氷麗は答える。
それをリクオは言葉通りにつららが無事だったと解釈して、ホッと安堵の息を吐いた。
「おい、奴良。お前こんなことして只で済むと思ってんのか。」
ガタリと音を立て、テーブルに手をつきながら割居先輩が立ち上がる。
「お前が氷麗を襲うおうとしたからだろ。」
「何もしてねぇよ、お前の勘違いだ。後ろからしか見てねぇだろ?」
「あなたね・・・」
氷麗が割居先輩に詰め寄ろうとするが、それをリクオが制止する。
「なら、ボクは部活を辞めるよ。これ以上のいざこざは起こしたくないし、クラブ内の暴力沙汰は、先輩にとっても都合が悪いだろ?」
「む・・・」
確かにそう言われては、返す言葉もない。
「だったら、私も辞めます。」
「なっ!」
リクオが部活を辞めるのなら、マネージャーでいる意味が無い。
氷麗にとっては当たり前の事をしただけだが、割居先輩にとっては『リクオが好きだから一緒に辞める』と言われたに等しかった。
「行くぞ、氷麗。」
「はい。」
二人が揃って部室を出ようと背を向けた所で、割居先輩がふらつく体でガタガタと机を鳴らしながら近付いてきた。
「クラブを辞めれば済むと思うのか?
俺の方は・・・くっ・・これだけの怪我っていう証拠がある。
お前が何か言ったとして、どっちの言い分が通るかな?」
一瞬立ち止まったリクオが振り返るより先に、氷麗が素早く振り返ってリクオの背中を押し自分より先に進ませると、割居先輩の直ぐ傍まで近付きその顎にそっと手を当て、自分の方を向けさせる。
「あなた、これから先の学校生活を平穏に過ごしたいのなら、この事は誰にも言わないことね。」
正面から割居先輩を見据えたつららの目が、一瞬きらりと金色に輝く。
その眼にも、言葉にも、有無を言わせぬ力があった。
「わ、わかった。」
震える声で何とか答えると、氷麗は満足そうに目を細め、ニッコリと怪しく微笑む。
「いい子ね。ご褒美に、あなたのした事は忘れてあげるわ。」
人間の姿でありながら、振る舞いはまさしく雪女のそれであり、そんな氷麗に『畏れ』を抱いた割居先輩は、顎から手を放されると同時にその場にへたり込んだ。